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岐阜県学校職員組合とは?
◇1100名強の組合員で構成される教職員団体です。
《基本方針》
教育専門職としての資質向上に励み、給与・勤務条件の改善と教育改革の推進及び
教育の中立性の堅持に努める。
- ◇全日本教職員連盟(全日教連) に加盟
- ◇共に支え合い、共に助け合う教職員団体
- ◇県下15単組の連合体
- ・岐阜市学校職員組合
- ・各務原市学校職員組合
- ・本巣市・北方町学校職員組合
- ・羽島郡学校職員組合
- ・不破郡学校職員組合
- ・美濃市学校職員組合
- ・関市学校職員組合
- ・加茂郡学校職員組合
- ・羽島市学校職員組合
- ・瑞穂市学校職員組合
- ・大垣市学校職員組合
- ・安八郡学校職員組合
- ・郡上市学校職員組合
- ・美濃加茂市学校職員組合
- ・可児郡市学校職員組合
- 他 直属会員、賛助会員 等
シンボルマークについて
◎全体の形
「岐阜県学校職員組合」の頭文字(G)を図案化したもの。
◎各部の色・形
【白色】 | = | 子どもたちを温かく包み込みながら中正不偏の教育を推進するとともに、自らの資質も高めていこうとする教師を表す。 | ||
---|---|---|---|---|
【緑色】 | = | 生命力・躍動感あふれる豊かな郷土を表す。 | ||
【水色】 | = | 郷土岐阜に恵みを与える清流の色を表すとともに、未来に向かって限りなく伸びていく「生き生きとした子ども」を表す。 |
岐阜県学校職員組合の綱領
願い(全日教連スローガン)
美しい日本人の心を育てる教職員団体
岐学組の網領
- ①われわれは、教育専門職としての使命を自覚し、国民の信頼と願いに基づく教育の確立につとめる。
- ②われわれは、自主的かつ主体的な不断の研修をすすめ、青少年の健全な育成につとめる。
- ③われわれは、社会的、経済的地位の向上を図るため、給与勤務条件の改善につとめる。
- ④われわれは、主体性を堅持し組織の強化と拡大につとめる。
基本方針
- ◎教育専門職としての社会的責任と使命を自覚し、県民の支持と信頼のもとに中正不偏の教育を推進し、
健全な児童生徒の育成に努める。 - ◎教育専門職にふさわしい社会的・経済的地位、並びに資質の向上に努める。
岐学組の網領
- ①教育専門職としての資質の向上と教育研究の推進を図る。
- ②教育専門職にふさわしい給与・勤務条件の改善を図る。
- ③組織の強化と拡大を図る。
- ④福利厚生面の充実を図る。
岐学組の歴史的背景
教職員団体の現状
はじめに
わが国の労働界は、平成元年11月に好余曲折をへて日本労働組合総連合会(連合)、全国労働組合連合(全労連)、 全国労働組合連絡協議会(全労協)の3つの潮流に再編統合された。現在の岐阜県教職員組合(岐阜教組)は、中央組織の分裂・再編に 伴って、平成3年3月に岐阜県教職員組合(岐教組)と岐阜県高等学校教職員組合(岐高教組)が統合されたものである。
岐阜県学校職員組合(岐学組)が加盟している全日本教職員連盟(全日教連)は、階級闘争主義に基づく文教政策反対闘争を 繰り返していた日教組の闘争方針に 批判的であった教職員が日教組から離脱し、教育の正常化を目標にして、各県で組織した 教職員協議会、教職員連盟等が結成した連合組織である。昭和32年3 月の結成当時は日本教職員団体連合会(教団連)といったが、 昭和59年2月26日、日教連と日本教職員組合連合(新教組)とが統一され、現在の全日 本教職員連盟(全日教連)が結成された。
岐学組の歩み
①胎動期
戦後、GHQの指導のもと多くの労働組合が誕生した。こうした中、岐阜県でも、全教員が岐阜県教職員組合(岐教組)に所属し 様々な活動を進めていた。その歩みの中で岐教組は、日教組の強力な単組として成長していった。それが、ある種のイデオロギーに 偏り、教育者の集団というより政治的活動を目的とする団体かのように、その活動が政治的闘争化を生み出しエスカレートしていった。 こうした騒然とした時代の流れの中で「教育はこれでいいのか!」といった叫びが起こってきた。
全国的にも昭和37~38年には日教組批判が濃厚に出てきた。こうした気運の中で誕生したのが、昭和37年に 結成された全国教職員団体連合会(全日教連)であった。
当時、親や地域や行政からも“子どもを放っておいて、迷惑をかけても平気、こんな不安定な状態は何とかせねばならない" という教育正常化の願いがどんどん強くなっていた岐教組の内部でも「政治闘争に明け暮れるのにはついていけない。 政党と手を切らなければいけない。」「それがかなわないのなら日教組を離れろ」との声が起こっていた。この「正常化」の声が、 後の脱退、新組織結成の動きとつながっていったのである。
②岐学組誕生
岐教組の中では当時、闘争・対応手段の苛烈化の中で、「イデオロギーがどうしても馴染まない。義務教育の教師として、 これではだめだ。しかし、団結は必要だ。」「とにかく、日教組、岐教組から脱退しよう。」 という気運が高まり、五月雨式に 脱退なだれ現象が起きていった。
その後各郡市ごとに団体登録をし、連絡会議をつく り、県単位の団体と認められるよう県人事委員会に交渉したが、 「これでは職員団体として受け付けることはできない。」と拒否されてしまった。そこで考えられたのが、「連合体として組織づくり」である。
次に直面した問題が、団体名称づくりである。当時「組合」という名には抵抗があったが、 「組合という名がないと、 交渉権を持つ職員団体としては認められない」との回答があり、結局「岐阜県学校職員組合」として、県人事委員会に登録することとなった。
③日教連への加盟
岐学組は各単組の連合体として結成。以来、「教育専門職としての使命と社会的責任を自覚し、県民の支持と信頼のもと、 中正不編の教育を推進し、健全な児童 生徒の育成に努める」と「教育専門職にふさわしい社会的・経済的地位と資質の向上に努める」 を基本方針に、合法的な運動を展開。昭和45年6月28日、日本教職員連盟(日教連)発足と同時に加盟した。その後専従制の 必要性を感じ、昭和46年から専従制をスタート。さらに、昭和48年には日教連の方へも専従 を送ることができるようになったのである。
まとめ(岐学組の躍進をめざして)
先達の「教育の正常化をめざした情熱と勇断」、仲間の「英知と団結」によって岐学組が誕生、発展し、県下最大の教員組織となった。 教育環境をきめの細かい観点から整備しようとするとき、教育現場に直接携わる教員の声は不可欠である。行政に任せ切るようなことが あってはならない。しかし、1人の声では、改善、改革の力にはならないのが現状である。「自分がかかわらなくてもかまわない」などと 考える無関心派が増えている今こそ、組織の強化・拡大に全力をあげることが緊要である。
◎組織の強化のために、いま岐学組が、仲間がやらなければならないこと
- ・「岐学組の先生は、さすがにすばらしい ! 信頼できる先生の集団だ。」と評価されるよう、
教育専門職として真筆な指導実践を行うこと - ・組織を上げて、今日的教育課題に取り組み、教育の向上に寄与すること。
- ・教員の給与勤務条件について具体的な声を聞き、把握した上で要望活動を展開する。
- ・諸会議、情宣活動は定期的(計画的)に行う。
- ・関経行政機関・管理職団体とのかかわりを深め、学組としての立場、考えを理解してもらう。
- ・高齢化社会に対応し、将来の「ゆとりある生活」保障のためにつくられた全日教連共済制度や
岐学組貯蓄共済制度等、学組員のみに与えられるメリットを具体的にPRする。
岐学組情報
岐学組の機関誌です。
活動の様子や、単組の様子などがくわしく分かります。